昨日はtwitterで、何人かの方が、自身の立ち位置についての現状認識や、前途に対しての決意表明のようなことを述べていたようなので、サイト・「小説家になろう」で公開中の拙作・「操重王ドジャイデン」、も先日4000PVを踏まれてキリも良く、いい機会ので、私自身がこのこの作品を巡って、或いは、「小説家になろう」を巡って、また或いは、twitterのハンドル名に、もう一つ@の後に項立てているサイト・「pixiv」を巡って、どう云うツモリで現状を認識し、どこへ向かおうと云うのかナドについて、少々ツラツラ述べてみたい。
まず、「~なろう」を始めとする幾つかの小説投稿サイトがweb上に鼎立して、物語作者を目指す入門者の登竜門的役割を果たしている現状に関しては、総じて悪くない社会的システムであると捉えている。特にこれらweb投稿サイトの特徴として在る、特定小数の賞の入選作以外の一般投稿作も、読者の目に触れ閲覧され、一定数のPVを与えられ得るという制度は、顕著なメリットであると捉えている。「メリット」とは、まず第一に一般論として、実際に読者に読まれる作品が、事実上「サイトに寄せられたものの全部」にまで裾野が広がることによって、より公平に幅広く優秀な作品がPVや評価によって注目を浴び、ゆくゆくは書籍化などのより大きな上のステージへと選抜されて行く為の俎上に上る事になるというこのシステムは、有意義であろうという意味である。無論、その「上のステージ」のどこまで行けるのかは、個々の作品/作者次第ではある。
また勿論、この「メリット」というのは同時に「私自身にとって」という意味合いもある。というのも、私の投稿作は、そもそも某賞への応募を目的に起稿されたもので、一次選考通過後に落選、改稿、他賞に応募、再落選、といった過程を経て「~なろう」へと流れ着いたと云った経緯の物なので、「賞」をデビューの前提とする在来型の出版社に統括された世界では、そもそも読者の目に触れる以前の段階で篩い落とされるレベルの物だからである。そうした作品にも敗者復活の機会が与えられ、少なくとも現時点で4000PVが賦与されたのは、ひとえに、このwebの「特定小数の賞の入選作以外の一般投稿作も、読者の目に触れ閲覧され、一定数のPVを与えられ得るという制度」に負うた結果であり、こうしたサイトが存在し、寄稿作を随時募集していたという事に関しては、感謝以外にはない。勿論、この作品は、そもそも出自からして落選作なので、この作品を以って書籍化を望むと云った前提は、投稿した最初から、私の胸中には無い。「pixiv」に関しても同様で、描画を嗜むとは云え、明らかに商業作品の水準に達していない私のような作者にも、同人誌以外で発表の機会を随時与えてくれるこうしたサイトの存在は、非常に有り難いものである。
勿論、こうした「底辺作品」を、作者の自己満足として切り捨てたり、或いは「底辺作家同志の内輪褒め」を「馴れ合い」と観て批判的に論じ否定したりする立場もあろう。だが、そういう「高い」レベルから、例えば拙作のような「底辺作品」を見てしまう人は、要するに、もっと先を行っているのである。高い実績や実力、それを自任する自信があるからこそ、入門レベルの作品に対してはそういう辛辣なモノの見方になるのであって、それらの高度の能力を現に有する限りにおいて、高レベルの論者が「底辺作品/作家」を、所詮は相応の物として断罪的に評したり、冷笑したりする資格や権利は、当然、存在する。要するに、これは例えばスポーツの実践の現場で見られる年齢ごとのヒエラルキーと同じようなモノで、コト小説に於いては、年齢層によるヒエラルキーこそ明確ではないにせよ、作品のレベルに於いては厳然とヒエラルキーは存在するのであり、それぞれのレベルの作品/作者には、それに相応の競い合うべきフィールドと読者が用意されている、というコトである。この、低レベルから立ち上がる連続的なヒエラルキーの存在という在り方こそがWeb投稿サイトの大きな特徴で、いきなりトップレベルに躍り出た物しか世に於ける存在を許されなかった「賞デビュー」前提の体制との大きな違いと云える。そして、私はこの点を大きなメリットと見ている。
さて、こうしたヒエラルキーの中で、私の作品が、本年3月の全文投稿以来、何を達成したかと問うと、実は、未だそれほど大きなものを達成したとは言い難い。確かに4000PVは既にゼロとは程遠いが、サイト上には、未書籍化作品であったとしても、現に万単位のPVを叩き出している人気作も数多く存在しているのが現実であることを鑑みれば、4000は決して大きな数ではない。また、本作を収録・製本した同人誌も、現在は各同人誌即売会などで出展・販売しているが、毎回、1部売れるか売れないかといったレベルで低迷しているのが現状である。無論、即売会に於いてはWebサイトとは観客層/ニーズが異なり、販売実績を上げたければ、マンガなど相応の内容の同人誌を専用に投入する必要もあるかも知れない。(現にそれは現在検討している。)
とは云え、私にとっては、全ては、まだ始まったばかりである。詳細は割愛するが、私は既に年齢こそ40代も終盤であるものの、若い時分には目標を見失ったり挫折したりする事も多く、多くの時間を浪費して来た。やっと進むべき軌道を見つけ、それに依って前進し始めたのも、未だごく最近の事。現に上述のこの小説をサイト上で全編公開したのも、ようやく今年の3月であるし、かつて一度読者として出入りしていた同人誌即売会の世界に、今度は作者として再入門したのも、昨年10月の「COMITIA 118」からのコトで、極めて日は浅い。本年の夏コミは落選してしまったので、コミケに至っては未踏破である。またこれとは別に、ツテを得て洋書の翻訳も生業として行い始めたが、これも未だ2冊を刊行したのみで、入門レベルを脱してはいない。ただ、そうであるがゆえに、過去は過去として、今は前途しか見ていないというのも事実。ちょっと感情論的、或いは小説的な文体を以て形容するなら、「前進あるのみ」と云うコトだ。どこまで行けるのかは皆目見当もつかないが、今は、日々、翻訳の方をボツボツと進めながら、小説の次期続編の執筆に向けて、構想を描いたり、断片的なネタをボツボツ蒐集したりといった生活である。人生も折り返し点を過ぎてしまったとはいえ、まだまだ長丁場ではある。焦っても仕方ないし、焦る必要もない。ただ、何にしても、今は、私にとっては「ここ」が現場である。私は「ここ」に居座り、「ここ」を放棄するツモリも毛頭ない。途中で事故死でもしない限りは、上述の件は、いずれは必ずやるだろう。
いずれそう遠くない将来、新作発表の折には、もし宜しければ、お付き合い頂ければ幸いである。