以前から考えていたことがある。「嫌儲」という言葉のことだ。

「嫌儲と情弱」“ネットに住む人達”

「嫌儲」とは、例えばここで述べられているように、「ネットで儲ける奴は許さないという考え方」の事を指すという。そして、当の「嫌儲民」自身の自覚的な歴史認識の中では、そのような観念は、特に2chのレスを勝手に「搾取」して自分のマネタイズにつなげる「アフィリエイト系ブログ」の台頭に対しての応答として生じたものである、と認識されているようだ。以下にそれが見て取れる。

誤解されている「嫌儲」とは

まぁ、今、広くWebの世界で「嫌儲」といった場合、その上でもこの語を扱う論者の立ち位置次第で、上に観たように「儲」を「嫌」がることについて「どう価値判断して観るのか」という点では、外在的に観る場合と「嫌儲民」自身の内部からの視点では温度差はある、と云うワケだ。



ただ、私自身は、個人的にこの「嫌儲」なる言葉の「語感」は、もっと面白い含意を持ちうるんじゃないかと前々から思っていて、この「儲けるのを嫌がる」ナル意味内容が「嫌儲」というリテラルな字面に与えられている事態はちょっと勿体ないかな、と思ってきたってのはあるんですよ…。具体的には「嫌儲」の語に対して、「『嫌なコト(人から嫌がられるようなコト)』を言ったり実行したりして『儲ける(マネタイズする)』コト」と言った含意を与えたら面白そうだ、というアイデアを、以前からずっと持っていたんですねー…。

こういう考えを持ったのは、(所謂「伊藤バカ君事件」を一つの契機として)一般の素人層オタクから次第に距離を置かれて嫌われるようになって行った当時のオタク系文化のオピニオンリーダーの一人であった唐沢俊一氏が、既に固有のスタンスで出版界内に立っていた村崎百郎氏に接近して下にリンクを貼ってあるこの書籍の発刊に至った際に、多分氏の心裏には上述の意味での「嫌儲」のような基本的なコンセプトが明確に在ったのだろう、と私は推察していて、それはそれで一つ明快に筋の通った立場ではある、と好意的に評価しているからだ。 要は「(オタクを初めとする)想定対象読者へ当の著作が嫌悪感を引き起こすことによってこそ当該書籍が売れる筈」、という明快な戦略があるワケですね…。 

まぁ、語の意味・用法・運用なんてモノは、現にその言葉が流通する現場にいる多くの人たちの暗黙の共有された合意によって決定されまた変化して行く物であるのは当然のコトなので、今ここで私が「『嫌儲』=「『嫌なコト』を言ったり実行したりして『儲ける』コト」なる新奇な概念をブチ上げたトコロで、それで直ちに広く人口に膾炙するワケでも何でもないですが、個人的に以前からそういうことは考えていたので、今日はちょっと今そのアイデアを、ここでWeb上に現に投げ込んでみようカナ?、というような気紛れを起こしてみた、と云う事です…。



「元サルの物語 ―科学は人類の進化をいかに考えてきたのか―」も、好評発売中!

「人類のやっかいな遺産」及び「元サルの物語 科学は人類の進化をいかに考えてきたのか」に関する論評